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令和5年 御田祭り早乙女 の巻

2023年7月2日更新 印刷ページ表示

和﨑・藤原の早乙女 の段

松尾神社鳥居の下の画像 御田祭り祭事スタッフの画像 参観に訪れた児童らの画像
山道を行く早乙女らの画像 上の段にて務める早乙女らの画像 田植えを模す早乙女らの画像

 7月2日日曜日、14時からの祭事です。午前中は4時間の通常授業を実施。その後、早乙女を担う児童らは一足先におしろいを塗りに出発していきます。
残った児童らは通常の授業を受け、お弁当の昼食を摂り、13時30分に学校を出発します。スクールバスで送迎してもらい、途中から社務所前迄徒歩で移動し、山道にある4つの鳥居をくぐり抜けながら本殿へ。
 社務所から出てきた早乙女を担う児童は、白粉を塗っている関係もあり少し恥ずかしそうです。
 早乙女を応援するために参加した児童は、早乙女の姿が見れた瞬間に「わぁー」と小さな歓喜を挙げていました。山道を併歩し進め、お祓いを済ませ、本殿で祈祷をあげられたのち、いよいよ早乙女立ちの出番です。
 上下2段の広場で、演じる早乙女も、下校バスの時間の都合で、上の段のみの鑑賞となりました。
 本来は犬甘野地域の農家の長男さんが演じる早乙女。少子化や都会化が進む中で担い手が、なかなかの不在になっています。担う年齢も下がり、西別院地域の子どもへと枠を広げ、更には女児による早乙女を検討されはじめているとか…。地域の登録無形民俗文化財を継承していく為に、ここ3年間は西別院小学校も、普段地域にお世話になっていることを感謝し、全校児童で参加(早乙女の協力とその鑑賞)に協力しています。粛々と進む祭事を、手持ち無沙汰に観る児、興味深そうに観る児様々ですが、数年経って大きくなった時、今後益々人口の減少や、担い手である若手年齢層の減少や皆無といった壁に突き当たった時、故郷を大切に思う行動に繋がってくれればいいなぁと思います。
 地元犬甘野営農組合「季楽」で作られたお餅をお下がりとして頂戴しました。ありがとうございます。 

松尾神社(西別院町犬甘野)

寛和年間(985~987)源満仲が武運長久を祈願して勧請

 松尾神社は、社伝によると、寛和年間(985~987)、源満仲が武運長久を祈願して勧請したといい、古来よりこの地の氏神として崇敬さてきた。
 本殿は、間口の広い一間社流造、檜皮葺である。本殿の擬宝珠銘に「宝永六年(1709年)」とあり、その頃の造営と考えられる。
7月の第1日曜日には、境内で「犬甘野の御田」が行われる。これは、神前で農作業や豊作の様子を演じることにより、豊作を祈る予祝の祭りである。
 本殿前の上下2段の広場で、早乙女や牛使いなどが「朝田植え」「コビル(軽い昼食の意)」「昼田植え」という時間の経過を示す2段構成で田植えの作業を演じる。演じられる田植えの様子は、中世の大田植えの痕跡を残し、京都府登録無形民俗文化財である。

 

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