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1月17日地震による避難訓練 の巻

2022年1月17日更新 印刷ページ表示

亀岡市シンボルロゴマークの画像

地震および二次的火災を想定した避難訓練 の巻

つくへの下へ身を隠す児童の画像 児童の安全行動の後、ストーブの電源を落とす指導者の画像
廊下を非難する児童の画像 口元を塞いでの避難の画像

阪神・淡路大震災
27年前の1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による災害
1995年1月17日5時46分52秒 発生
兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡が震源地/マグニチュード7.3

生まれていなかった小学生、生まれていても記憶が薄い世代らは人から聞く話。

 日本初の大都市直下を震源とする大地震。
   気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初の最大震度7を記録した地震。
 早朝に都市を襲った直下地震は、阪神・淡路地域の建築物などに倒壊、火災などの甚大なる被害をもたらし、多数の死傷者、被災者を出した。更には高速道路、鉄道、港湾、ライフラインなど、基幹的な社会基盤施設が多数損壊したことで、都市の機能を長期間にわたり麻痺させてしまいました。
 家屋などの倒壊により多くの尊い命を失うことになりました。直後に発生した火災がその惨事を更に拡大することに繋がり、地震大国と言われる日本における戦後最大の震災となってしまいました。
 住家被害約512,880棟、出火件数285件、インフラ被害多数
 命を奪われた人は6400人をこえ、負傷した人は41,500人をこえるといわれています


私たちが知っておかなければならない重要なことの一つ

 大地震の直後は、すぐに助けの手が伸びてくる状況ではなく、自分や身近な人の命は自分自身で守らなければならない。その為には、地震が起こる前から「地震が起きた時の状況をイメージ」し、心の準備と物理的な準備、その他の対策をとっておく必要があります。

家屋やビルの倒壊,火災による被害がでるかも
鉄橋や駅が壊れて主要な交通網が使用不能になるかも
道路の大渋滞や,消防車などの緊急自動車が災害現場になかなか到着できないかも
水道・電気・ガスが長期にわたって使用不能になるかも
被災後も長期にわたる不自由な避難所・仮設住宅での生活を余儀なくされるかも

エピソード 1

 27年前のこの前日、長野県へスキーに出かけており、この日の3時頃に帰宅し、直ぐに床に入りました。5時40分頃、何気に目が覚め、その数分後地震か?地震や、ぇ長い?下から?強い?…いつまで続く、長い?…思わず妻と幼子の上に四つん這いになり、感覚的には凄く長い時間が過ぎたのを覚えています。
 やがて揺れが収まるのを待って、6時に出勤で家を出る為、テレビの電源を入れると、「地震です。大きな縦揺れを観測しました」という情報と兵庫県、淡路島…と、今ひとつ明確な情報は得られないも震源地が淡路島らしきことと、神戸の山並みが薄暗くブラウン管に映え、大きな被害などは(未明の暗さで)確認できず、「まんが日本昔話」に出てくるように白い煙の様なものが二、三カ所ぐらいから立ち上っている情景を朝のニュースでみて特に何も思わず、というか大きな被害がなさそうなので良かったみたいな感覚で、揺り返しが心配ながらも妻子を残して6時には出勤しました。
 1時間かけて仕事場に着き、朝練を終え8時過ぎにテレビで映し出された、高速道路のうねりや、建物や墓石などが倒壊している様を知り、やっぱりそれなりの被害はあったのだと知りました。高速道路上で、信州から戻ってきた京都・大阪発便のスキーバスの前輪が落ち「九死に一生」寸前で落下を免れた状況や高速道路の高架が横になぎ倒されている状況はまだ放送(把握)されていなかったように思う。放課後の部活は中止になり、職員も早く帰宅する処置が執られ、6時50分頃には自宅に戻っており、被害の状況情報を得るため付けたテレビに映し出されたのは、真っ暗な夕闇のなかで、赤とオレンジの混ざった炎があちこちに立ち上っている、画面が少しずつ右から左へと移動(スクロール)していくけれど、新しい赤とオレンジ色の火の手が次々に映し出され、「ぇ?いっぱい燃えてるやん…何に?火事?…」と、頭の中で理解しがたい状況に呆然となりました。
 朝の「黒に白」夜の「黒にオレンジ」という色の場面が強く今でもフラッシュバックしています。
 今になって、「昔話のように山里から立ち昇る煙」なんて「朝の食事の支度を「おくどさん(お釜)」でしているはずがないじゃないか?」何を暢気に楽天的に捕らえていたのだろうかと我に返って、その煙が火災発生の前兆だったのということを悟りました。
 時間と日を追い、幾度とヘリが飛び交い、被害の状況が徐々に明らかになるにつれ、一筋の燻った煙が火災につながり、初期消火が適切に成されればこんな火災被害は…と思ったのもつかの間、高架の倒壊や道路の起伏による寸断、緊急車両などの不通状況などが明確に映し出されるにつれ、発生時に行動を起こしたくても何もできなかった人や助けや援助を待っていたのに、手が届かなかった、その手段(方法)がなく手ぐすねを引いて見ることしかできなかったとう現実を頭に理解しました。

 その後も、長期にわたる不自由な避難所・仮設住宅での生活を余儀なくされ,防災対策のみならず被災後の復旧・復興対策においても課題が多く確認されました。

エピソード2

 卒業式が無事終了した、2011年3月に起こった東日本大震災も、残念ながら、命を落とされた方・不明となられた方2万8000人以上(4月現在)は兵庫県南部地震を上回る戦後最大・最悪の災害となっています。


 形だけの避難訓練にならないように学校でも緊張感やもしもの時に、慌てず冷静に対応する為の予測(イメージ)できる力なども養いながら取り組んでいきます。
 皆さんも、日々の防災に関わる考え方をご家族の方と一緒にお話していただき共有してください。もしもの時の避難(集合)場所や連絡の方法や手段。非常時の備え(食料、飲料水、暖房手段、その他)の備蓄であるとか?

 本日は、すぐさま机などの下に身を潜ませ、落下物から身体を守り、火災発生の熱風による喉の火傷を防いだり、煙による一酸化炭素中毒を避けたりできるスキルや知識を知ってもらうこと、慌てることと急ぐことの違いを自分の中で区別し、自分の安全を確保する努力や工夫を、他の人がしていなくても、「自分はする・できる」大切さを確認しました。

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