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JR亀岡駅にほど近く、小高い丘に石垣と濠を遺す丹波亀山城址。
天正7年(1579)、丹波平定の拠点として明智光秀が築城し、歴代城主により整備されました。
慶長15年(1610)、藤堂高虎によって五層の天守が完成。
しかし、明治11年ごろ、当時の政府により解体。現在丹波亀山城は石垣とお堀を遺すだけとなっています。
丹波亀山城を中心に栄えた城下町は現在も残っており、京格子、虫籠窓の商家や町家など、いにしえの風情を今に伝えています。
亀岡市文化資料館第27回企画展図録
「探求!丹波亀山城」掲載丹波亀山城天守復元図(松田克仁氏復元)を参考に作成
明智光秀が築いた丹波・亀山城の城下町は、敵が容易に本丸へ近づけないように、城下町の道路は迷路のようにはりめぐらされており、町そのものが軍事要塞となっています。
こうした旧亀山城下に連なる町屋は、京の町屋の特徴である平入町屋と、農家の在地方町屋の特徴である妻入町屋が混在していることで、亀岡は町屋文化の交流点といえます。
亀岡では、町屋の連なる城下町を小さなコミュニティバスが走り、秋になると亀岡祭の11基の鉾が亀岡の旧城下町を巡行します。
[亀岡祭…毎年10月23日宵々山・10月24日宵山・10月25日巡行]
城下町の写真スポットや名所は、下記の城下町散策マップをご参照ください。
城下町散策マップ[PDFファイル/1.14MB]
「丹波」。
この名の云われは、かつてこの地が「丹」(あか)い「波」の立つ湖だったからだと伝えられています。
亀岡の町屋の紅殻格子(べんがらごうし)も「丹」です。
亀岡特産の小豆も「丹」です。
そして「丹」という字には「まごころ」という意味があります。
丹波・亀岡は「丹」が示す「まごころ」のまちです。
本町・内丸町・旅篭町・呉服町・塩屋町など往時の城下町の名を残し、町屋の連なるまちかどで、伝統的なお店や個性的なお店を探してみてください。きっと「まごころ」に出会えます。
ところ:亀岡市内中心部[JR亀岡駅の南約800から1000m付近]