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第21回 明智光秀と旭町
旭町は、亀岡市域の北西部に位置しており、中世の建造物や石塔が伝わる歴史由緒深い地域です。近接する氷室の地(南丹市八木町)は、南北朝時代に丹波国守護所があったといわれ、室町時代には管領で丹波守護であった細川勝元が梅田神社に領地を寄進したように、中世にこの地域は伝統的な守護権力に保護されていました。戦国時代には、永禄12(1569)年の織田信長奉行人連署状で、山階村が「内藤五郎」(のちのジョアン)に安堵されているように、この地は守護代内藤氏の支配下にありました。しかし同書状に「宇津押領」とあるように、当地は宇津城(現在の京都市京北下宇津)を拠点とする宇津氏による侵攻をたびたびうけていたようで、内藤氏と宇津氏の領地争いの舞台だったと推測されます。明智光秀との関わりは、前出の織田信長奉行人の一人として光秀が署判していることが確認できるぐらいで、それ以上のことはわかっていません。ただし、天正3(1575)年の八木城攻めでは、内藤氏の支配下にあった当地も少なからず影響を受けた可能性があります。
今回使用した史料
永禄12年卯月16日付織田氏奉行連署状写(山科村等百姓中宛)
画像
細川氏が保護した梅田神社
[亀岡市文化資料館執筆]