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第19回 明智光秀と保津
「木練(柿)の鬚籠二つが届き大変うれしく思います。遠路はるばる送ってくれたので大変美味しいものでした」これは亀岡市内に残る数少ない明智光秀書状の一つで、9月15日付で光秀が保津の領主であった村上紀伊入道に対して送ったものです。内容は、村上氏から鬚籠に入った木練柿2つが届いたことへ謝意を述べたものですが、後半部分の原文は「遠路志賞翫無他」とあって、家臣である村上氏が遠路はるばる柿を送ってくれたことに感銘を受けていた様子が伺えます。村上氏は、天正5(1577)年には「村上和泉守」なる人物が小畠氏から勝林島(現在の河原林町)の年貢米納入を請け負っており、勝林島と隣接する地域―おそらく保津周辺に所領があったことが考えられます。この書状と同様の資料として、光秀が関内蔵助に対して鬚籠のお礼を述べた書状がありますが、こちらには八上城兵糧攻めの戦況が記される一方、村上氏宛の書状には記されていません。ここから、村上氏宛の書状が出された時期は、丹波進攻が本格化する前か丹波攻略の後と推測されます。
今回使用した史料
年未詳9月15日付明智光秀書状
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現在の保津地域
[亀岡市文化資料館執筆]