ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
光秀公のまち > 数掛山城跡
ページID:0001257 2021年7月12日更新

本文

数掛山城跡

 天文19(1550)年ごろは、八上城を拠点に覇権を振るった波多野氏の一族で、当地上村の代官職を務めていた波多野与兵衛尉秀親の居城。天文22(1553)年9月に、丹波守護職であった細川氏の被官、三好長慶の祐筆として活躍した松永弾正久秀に攻められたが三好政勝、香西元成の援軍を得て退けた。しかし、天正年間に明智光秀の丹波攻略の進軍により落城した。南東に位置した千軒寺もともに焼失した、と伝わる。
現在、土塁や虎口の一部が残存する。

数掛山城跡の画像

詳細情報

所在地

亀岡市本梅町平松・西加舎

エリア

西別院町・東別院町・本梅町・宮前町・畑野町・東本梅町

関連人物

明智光秀、波多野秀親、松永久秀、三好政勝、香西元成、織田信長

関連資料

波多野秀治書状

案内板

なし

問合せ先

亀岡市文化資料館 電話番号:0771(22)0599

皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が充分掲載されていましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現はわかりやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?