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光秀公のまち > 余部丸岡城跡(西岸寺)
ページID:0001252 2021年7月12日更新

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余部丸岡城跡(西岸寺)

古くから口丹波地域随一の軍事拠点として知られる。明智光秀による丹波進攻の際、周辺の城や砦の諸将たちは戦わずして服属したり、城を捨てて逃げた者が大半の中、城主の福井因幡守貞政は籠城し頑強に抵抗した後に切腹して自害したと伝わる。現在は西岸寺。

余部丸岡城跡(西岸寺)の画像

詳細情報

所在地

亀岡市余部町古城

エリア

亀岡地区

関連人物

明智光秀、小畠氏、余部在城衆、福井因幡守、福井氏

関連資料

明智光秀書状、「亀山城地録」、「丹陽軍記」

案内板

あり

問合せ先

電話番号:0771(24)4738

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