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光秀公のまち > 丹波亀山城跡
ページID:0001244 2021年7月12日更新

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丹波亀山城跡

織田信長から命を受けた明智光秀が、天正5(1577)年ごろ、丹波進攻の拠点とするために築城。保津川を北に望む丘(荒塚山)に築かれた平山城で、天正10(1582)年の本能寺の変の時もこの城から出陣したと言われている。

その後、羽柴秀俊(小早川秀秋)、前田玄以らによる修築を経て、慶長15(1610)年、岡部長盛の代に天下普請によって城郭が完成。このとき、城づくりの名手といわれた藤堂高虎によって五層の大天守が造営された。

明治維新の後、廃城令により解体されたが、現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣などが修復された。申し込みにより見学することが可能で、清閑とした森の中で苔むした石垣に、長い年月を支えた面影をうかがい知ることができる。

丹波亀山城跡

詳細情報

所在地

亀岡市荒塚町内丸

エリア

亀岡地区

関連人物

明智光秀、明智秀満、波多野兄弟、領内百姓

関連資料

明智光秀書状、『兼見卿記』

案内板

あり

問合せ先

大本本部総合受付 電話番号:0771(22)5561

※見学の際は受付にお声かけください。

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