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丹波亀山城下町について
亀山城の旧城下町は、明智光秀の時代に基礎がつくられ、江戸時代に拡大・発展したといわれています。現在でも惣構跡や建築物から当時のようすをうかがうことができます。
丹波亀山城惣構跡について
惣構とは、敵からの侵入を防ぐために、城下町を取り囲むように造成された「土塁」と「堀」で構成される防衛ラインのことです。
丹波亀山城の惣構は、天正5年(1577年)正月の明智光秀書状に「亀山惣堀普請申付候」とあるのを初見とするので、明智光秀が城主の時に造成が開始されたと考えられます。その後、天正7年(1591年)に小早川秀秋(羽柴秀俊)が城主となって二ノ丸・三ノ丸が造成され、北条氏勝が城主となった慶長年間に惣構が完成したといわれています。
惣構の規模は、総延長が3キロメートル弱で、惣堀の幅が約10メートル、深さが2~3メートル、土塁の幅が約10メートル、高さが4~5メートルもあったと想定されています。
現在、当時の様子を物語る地形や景観はわずかに残ってはいますが、埋め立てられたり、削られたりしている場所もあります。
惣構跡は、丹波亀山の旧城下町が成立した頃の構造を考えるうえで貴重な資料であり、将来のために保存していく必要があります。
(参考:丹波亀山城惣構跡保存会「惣構跡の保存を」)
惣構跡の写真
<坂部公園>
<嶺樹院>
文化財の見学にあたっての注意
文化財はかけがえのない貴重なものです。見学をされる際は、はじめに所有者の許可を得てから見学をしてください。また、写真撮影をされる際は、撮影が可能かどうかを所有者に確認をしてください。
関連リンク
惣構跡の資料は以下のリンク先から見ることができます。